これで人事は完了する。辞令も役割定義もない。あるのは「見といてくれ」という五文字だけ。月曜になると、その人のデスクには「AIで何かできないか検討」というタスクだけが、輪郭のないまま置かれている。
「見といて」の中身は誰も持っていない
押し付けた側に悪気はない。むしろ善意だ。社長の頭の中では、AIは「詳しい人が触れば動くもの」になっている。プリンターと同じカテゴリーに入っている。だから「詳しい人」に渡せば解決すると本気で思っている。
ところがプリンターのドライバーと違って、生成AIには「直す」も「動かす」もない。ゴールが定義されていない。何を達成したら「やった」ことになるのか、押し付けた本人すら知らない。
ここが、急に担当になった人の最初の苦しさだ。課題が与えられたのではなく、課題を探す仕事が与えられている。リサーチを13年やってきて思うのは、世の中で一番しんどいのは「答えのない問い」ではなく「問いそのものを作れと言われる状態」だということ。後者は、頑張っているのに進んでいる感覚がまったく出ない。
しかも本業は止まらない。見積もりも、納品も、来週の商談も、全部そのまま乗っている。AI担当は、いわば残業時間に押し込まれた二つ目の机だ。
情報を集めるほど、動けなくなる
真面目な人ほど、ここで「まず勉強しよう」とする。これが落とし穴になる。
2026年のAI業界は、追いかけきれない速度で動いている。Stanfordの「AI Index 2026」では、米国と中国のAIモデルの性能差が2.7%まで縮んだと報告された(ledge.ai、2026-06確認)。ほぼ横並びだ。Anthropicは「Claude Opus 4.7」を出し、OpenAIはコーディングを自動化する「Codex」を刷新し、ソフトバンク・NEC・ホンダ・ソニーは国産の基盤モデルを作る新会社まで立ち上げた。
この情報の洪水に、ゼロ情シスの兼任担当が一人で飛び込むとどうなるか。記事を読むたびに「自分の会社はこんなに遅れている」という焦りだけが積み上がる。Mediumには8.8M(約880万)のAIフォロワーがいて、444K(約44万)本の記事が流れている(medium.com、2026-06確認)。読んでも読んでも終わらない。
そして人間の脳は、選択肢が増えすぎると決定そのものを放棄する。行動経済学では「決定麻痺」と呼ぶ。勉強すればするほど、最初の一歩が遠ざかるという、ほぼ反語のような事態が起きる。情報収集は、動かないことの上品な言い訳になりやすい。
ここで観察しておきたいのは、押し付けた社長は「ちゃんと調べろ」とは言っていないことだ。彼が欲しいのは網羅的な知識ではない。「ウチもAIやってる」と言える小さな実績だ。なのに担当者は、誰も求めていない完璧な理解を目指して動けなくなる。善意と善意がすれ違う、よくある現場の風景。
今日だけやる、たった1つのこと
では何をするか。提案は一つだけだ。今日、自分の業務で一番面倒な作業を、AIに一度だけ渡してみる。それで終わり。
導入計画も、稟議書も、ツール比較表もいらない。それらは全部「明日以降の自分」に投げる。今日やるのは、無料で使えるAIチャットを開いて、現実の作業を一つ放り込む。それだけ。
具体的にいこう。たとえば、いつも30分かけて書いている定例メールがあるとする。先週の議事録から「来週までにやること」を抜き出して箇条書きにする作業でもいい。やり方はこうだ。
その議事録のテキストをまるごと貼り付けて、「この中から、来週までの宿題だけを担当者別に箇条書きにして」と書く。これだけ。プロンプトの技術も、専門用語もいらない。普段、新人に頼むときと同じ言葉で頼む。
会議の要約だけを自動でやるツールなら「Granola AI」のように無料で使えるものもあるが(業界調査、2026-06確認)、今日はそこまで広げなくていい。手元のチャットに一つ渡す。出てきた結果が8割使えれば御の字、2割直せばいい、くらいの温度で見る。
なぜこの「1つだけ」にこだわるのか。理由は、実績が言葉ではなく体験でしか作れないからだ。「AIは便利らしい」と100本の記事で読むより、「自分のあのメールが、5分で下書きになった」という体験が一つあるほうが、はるかに強い。次に進む燃料になる。
小さな成功が、無関心を溶かす最短ルート
ここで、このメディアが何度も向き合ってきた最大の悩みに触れておきたい。配っても同僚が使わない、社内の無関心、という問題だ。
急に担当になった人の多くは、最初から「全社展開」を考えてしまう。マニュアルを作り、勉強会を開き、ツールを契約する。ところが配った瞬間、同僚は触らない。理由は単純で、他人の便利は、自分の便利として実感されないから。人は、自分が痛い思いをした作業が楽になって初めて動く。
だとすれば、最初に楽にすべきは同僚ではない。自分だ。
自分の一番面倒な作業を一つ、AIに渡して楽にする。その小さな成功を、雑談のついでに一つ見せる。「あの議事録まとめ、これで5分になったよ」と。これが、説得の資料を100枚作るより効く。人は説明では動かないが、隣の人が楽そうにしているのを見ると、つい気になる。妬みに近い好奇心、と言ってもいい。それが社内に火をつける。
だから今日の1アクションは、二つの意味を持っている。一つは、押し付けた社長に「やりました」と言えること。もう一つは、いつか同僚を巻き込むときの、最初の現物サンプルになること。
押し付けられた、その立場のまま
整理しておくと、急に担当になった人がまず手放すべきは「ちゃんとやらなきゃ」という思い込みだ。
ちゃんとやるとは、網羅的に勉強し、完璧な計画を立て、全社に展開すること――だと、つい思ってしまう。けれど、ゼロ情シスの会社で本業を抱えた兼任担当に、それは構造的に無理がある。無理なことを目標にすると、人は静かに何もしなくなる。
代わりに置くゴールは、ひどく低くていい。今日、自分の作業を一つだけAIに通した。報告できることはそれだけで十分だ。低すぎて拍子抜けするくらいでちょうどいい。低いゴールは、必ず越えられるから次が続く。高いゴールは、越えられないまま放置されて、半年後にまた別の誰かが「見といて」と渡される。
押し付けられた立場は、たぶん当分変わらない。辞令が出るわけでも、手当がつくわけでもない。ただ、その立場のまま、今日ひとつだけ作業を渡してみる。明日の自分が少し楽をしているのを発見したら、それはもう、立派に「やった」ことになっている。
金曜の午後に振られた五文字に、月曜の自分が小さく応える。やることは、今日はそれだけでいい。
本記事はAI編集を経たのち、編集長が事実確認と品質チェックを実施しています。
